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大津波は『生涯、漁師でいたい!』そんなささやかな思いさえも奪っていきました。
漁具も機械もなくし、港は壊滅的・・・
一旦は漁師を諦めかけましたが、日が経つにつれ、穏やかな海を見ていると『やっぱり海が好きだ!海へ出て働きたい!僕には漁師しかない!』という思いが出てきました。
そして奇跡的にも相棒犬『タロウ』は津波から12日目に戻ってきたのです。
この奇跡の犬『タロウ』がご縁で、東京のある方から漁船を寄贈されることとなりました。
寄贈された船は『第十八みさご丸』として、三陸の漁仕様に改造し、漁の復活を目指しています。
佐々木さんは船を失くしてしまった多くの三陸漁師の中でも、いち早く漁船を手に入れることになりました。なので、まずは自分が先頭に立ち、田野畑村を復興させていきたいという強い思いでいます。
改めて『生涯、漁師でいたい!!』という、そんな佐々木さんを応援したく、佐々木さんが実際に漁で使っていた網糸を使用して、ミサンガやストラップを作りました。
佐々木さんは、地震の直後からブログなどで被災地の情報を発信し、そこにはメディアでは放送されない『真実の被災地の姿・声』が書かれています。
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『田野畑村 漁船漁業研究所』の佐々木さんは、ブログを通じて、震災前より漁師の視点で被災地『岩手県田野畑村』の生の現状をリアルタイムに情報発信してます。
今でも随時更新されています。このブログ 『山と土と樹を好きな漁師』を是非一度ご覧下さい。
※アクセスする→ http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako
佐々木公哉(ササキキンヤ)さんの公式ブログ
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この映像は、imaro56(YouTubeペンネーム)さんが、2011/04/08 にアップロードしてくれたものです。
imaro56 さんは『早稲田大学・思惟の森の会』のOBの方で『早稲田大学・思惟の森の会』と『田野畑村』とは交流の歴史が長いそうです。佐々木さんの家と倉庫が床上浸水した際もボランティアに駆けつけて下さったそうです。
凄い威力で津波が襲来し、ようやく車が通れるようになった時の動画です。
現在は既に瓦礫等は撤去され、漁港や関係道路の復旧工事が盛んに行われています。
田野畑村で最も被害の大きかった漁港『島越(シマノコシ)』の震災直後映像
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岩手県下閉伊郡田野畑村も多くの甚大な被害を受けました。
人口4,500人の村で、死者17名、行方不明者47名の尊い命が失われました。
これまで最大の津波とされてきた、明治29年の津波の18メートルは遥かに超えているらしく、28メートルはあったとのことです。 沿岸部は家が5%しか残っておらず、田野畑村だけで漁船93%(517隻)の被害を受けました。
海抜18メートルの高架橋の上に駅があったのですが、その高架橋も倒壊し流出しました。
佐々木公哉さんご自身のご兄弟、ご家族は、奇跡的に無事だったそうです。
ただ親戚のおじい様が今だ行方不明との事。
ご自宅は奇跡的に床下浸水で済んだとの事ですが、トラック1台、冷凍庫3台、機械器具、電動工具類はパーで、肝心な仕事道具である漁船『みさご丸(4.9トン、500PS、60KVAの発電機、漁労用油圧器具、各種計器類、オートパイロット)』『小舟の2隻』ともに影も形も無くなってしまったそうです。
震災直後に被害調査があり、算定された金額は約6千万。それでもまだ他の方に比べれば良い方だそうです。
『田野畑村 漁船漁業研究所』所在地、岩手県下閉伊郡田野畑村の被災状況
佐々木さんのブログ『山と土と樹を好きな漁師』より抜粋
(震災後の様子が赤裸々に語られています)
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【2009/9 被災前の田野畑村の様子がところどころ映っています】
震災発生の2年前、フジテレビ『きょうのわんこスペシャル』が放映された時の映像です。
実はこの時取り上げられたのが、佐々木さんと愛犬『タロウ』でした。被災前の田野畑村の様子が鮮明に映し出されている貴重な映像です。
『今頃は、こんな平和な漁にタロウと出ていたはずなんですが・・・』と佐々木さんはこの頃を振り返ります。
震災直後、愛犬『タロウ』は自宅の小屋にロープで繋がれた状態で津波に会い、その後切り取られたロープだけが残っていたそうです。 さんざん辺りを捜索されたそうですが見当たらず、あきらめ掛けていた矢先です。
2週間後、泥まみれになって佐々木さん宅をウロウロしているタロウがいるではありませんか!!奇跡的にタロウが生還してきたのでした!!
実はフジテレビスタッフがこの話を聞きつけ、佐々木さん宅で取材されたいったとの事です。
さて、その後の『漁師と相棒のタロウ』はいったいどんな時を刻むのでしょうか。
放送は漁再開後の見込みだそうです。期待しましょう!!
【被災前の田野畑村の様子】~
『2009/9/25放送 フジテレビ きょうのわんこスペシャル』より